2025年4月17日木曜日

Waymo + Waymo

 今回の出張でぜひ経験したいと思っていたのが、Waymo に乗ることであった。まだ、米国でも4都市の一部の地域しかサービスをしていないが、そのうちの2都市に行くこともあり、せっかくなので、ロサンゼルスとサンフランシスコで乗ってみた。

Cripto.com Arena から マダム・タッソーまで


一通り乗り方は調べていたとはいえ、実際にどのようにやってくるのか、本当に乗車できるのか不安に思いながら、車を待った。その姿は急に現れて、指定した地点にスムーズにやってきた。アプリでUnlockをして、乗車。センターのモニターに表示される目的地を確認してボタンをクリックすると出発する。表示はしっかりと日本語であった。後部席に乗ったので、センターのモニターでの操作となるが、前に座ると、ダッシュボードのモニターでの操作となる。

運転中はモニターに周囲の環境が表示される。道路、建物、車、人などなど。

後部席に乗っている感覚は、普通にタクシーに乗っているそれと同じで、不安もほとんど起きなかった、唯一大丈夫かと思ったのは、たまたま緊急車両(消防車)が後方からサイレンを流して近づいて来たとき。左側から来た車は自分の車の前で右折をしたのだが、サイレンが聞こえて右折が完了するまで、ずっと停止。また、右折後もしばし停止していて、このまま動かないのではと冷や汗ものだった。緊急車両をきちんと待って、道を譲るとは。

もちろん、急な飛び出しにも対応し、車線変更もいたって自然。最後に目的地での停車も、周辺に配慮しながら安全な場所で停止してくれた。30分ほどの乗車だったが、特に緊張もせずリラックスすることができた。

Chase CenterからPowell Stへ

一度乗って勝手もわかっていたこともあって、今度は前方シートに最初から乗ってみる。



隣にハンドルがあって運転手がいないというのは不思議な感覚であるが、位置的には日本で運転する自分が右側、左は助手席という関係だから、慣れているといえば慣れている感覚でもある。

ダウンタウンで一方通行が多く、さてどうやって連れてってくれるのかが気になったが、これが結構人間らしい運転をしてくれた。

・ある交差点で左に曲がるはずが渋滞で左車線に割り込めなかった。その際には再度チャレンジするために右右と曲がってもとの場所まで戻ってくる。知らない街であればおそらく自分もそうしたであろう

・米国では目の前の信号が赤であっても、右折できるというルールがあるが、これも忠実に行っていた

・距離もしくは時間が最短になる経路を好んで選ぶ。今回の移動経路の中で雰囲気があまりよろしくない(安全でない)地域を通過する経路が選ばれた。ちょっとヒヤヒヤした。


2都市でのWaymo体験は、衝撃的なものであった。日本でも試験運用に向けて準備が進んでいるようだが、さっさと進めて、地方での運用を本格的に始めてほしい。

補足:Google のキャンパス周辺でも実はWaymoが走っていた。



ラスベガスでAIに触れる

 Google Cloud Next 2025 参加のため、ラスベガスへ。25年ぶりに訪れる地であった。

羽田からロサンゼルス経由でラスベガスへ。JALからアラスカ航空のトランジットはとてもスムーズ。通常、アメリカン航空を推奨されるのだが、この日は大幅遅延だった模様。成田便はほぼ同時刻にLAXに着いたのに、LASには2時間以上の差が発生した。

LAS=マッカラン空港からハリー・リード空港に名称変更は、空港内の雰囲気もだいぶ落ち着いた感じであった。空港内には、Next 25 のサイネージがたくさんあった。

宿泊先は「W Las Vegas」。コンベンションホール横のホテルで、今回アサインされた部屋はスイートに近い豪華な作りであった。一人ではもったいない。



2日目は、リハーサルとスペシャルイベントに参加。リハーサルではチームメンバーと再開し、会場内をツアーしたあと、翌日からの本番に備えて軽い打ち合わせ。そのあと、Sphere でのスペシャルイベントに参加。人生初に違いない、大きなドーム型のスクリーンでの映像は迫力満点であった。



イベント初日はカオスな状態から始まった。予定していたキーノートは会場前の大混乱に巻き込まれて、会場に入れず。冒頭の20分ほどを見逃してしまった。その後は徐々に会場内も落ち着いてきて、こちらも時間に余裕が出てきたこともあり、EXPOやセッションを聴講した。とにかく広い。腕時計は30000歩を示していた。









2日目はDeveloper Keynoteを聴講。今回はオンタイムで指定席に。

夜は、Next at Nightへ。
道路のど真ん中でなぜかパフォーマンス(撮影していた)。

最終日はメインの仕事はなく、サポート業務に2時間ほど対応。最後の夕食は肉を食らうことにした。


ここまで来てOutbackか!も考えたが、味は確かであった。ちなみに、この日はカブス対ドジャース戦があり、山本投手が勝利。


ラスベガスで立ち寄ったお店:


2024年4月21日日曜日

コロナにかかって

この時間、長野マラソンに出ていたはずだったのだが、コロナに罹患してしまい、自宅でライブ配信を見ながら、このブログを書いている。一週間の顛末を残す。

コロナに診断された方へ(かかりつけの医者の指示から)

  1. 発症後5日間、かつ解熱、症状軽快から24時間が経過するまでは外出を控える
  2. 発症後10日間が経過するまではマスクの着長やハイリスク者との接触を避ける

発症日(0日目):4月15日
朝方少しだるさを感じつつも前日2万歩近くあるいたせいだろうと思い、日常が始まる。しかし、昼時になり体温を測ったところ37度を超えていたことや、ハムストリング周辺の筋肉痛がきつくなってきた(普段、感じたことの無い痛みというかしびれ)。
1日目:4月16日
朝起きると前夜の微熱は消えており、平熱に戻っている。午前中は通常運転で過ごした。しかし、昼時に再び発熱が始まる。37度8分。さすがにこれはなにかかかっていると思い、以前購入した抗原検査キットでチェックすることにした。二年前にイベント用に購入したもので、期限切れ直前であった。結果は陽性。2本線がくっきりと表示された。




インフルエンザも心配だったので、かかりつけの医者で検査をしたが、こちらは問題なしで、今回はコロナのみであった。頭痛もひどくなってきた。



処方薬は
  • トラネキサム酸
  • カロナール
なお、カロナールは、調剤薬局のミスで量が半分しかもらえず(後日調剤薬局にて入手)。

2日目:4月17日
早朝から微熱は続く。37度前半。食事も少し摂りにくくなっている。味覚は特に変化なし。昼はレトルトのおかゆですます。夕方から上半身の筋肉痛がひどくなる。特に腹部。このため、さらに食事が摂れない。夕食はついにご飯を食べることを断念した。体内でなく体表がズキズキ痛む感じである。熱は37度前半で変わらず。

3日目:4月18日
筋肉痛のせいで夜中に数回起きてしまう。発症から汗はほとんどかいていない。痛みは頭部にも伝播していた。頭部(右側頭部)である。縦方向に引っかかれたような痛みである。この頭痛、上半身の筋肉痛は時間とともにひどくなってくる。夕食後、20時に就寝。しかし痛みでしばらくの間は寝ることはできない。夜中も2時間おきには目覚めてしまう。

4日目:4月19日
6時起床。会議を断念するメールを発信。なんとか朝食を摂るも、痛みはまだ消えず、追加の処方薬を依頼しようと思ったくらいである。ところがである、ランチを終えてしばらくすると、頭痛が消えていることに気づく。続いて上半身の痛みもかなり緩和されていた。そこで、再度、抗原検査キットでチェックすると、一本線に変わっていた。


5日目:4月20日
朝、まだ少し痛みは残っている。まだ完治とはいえない。息も上がっている。体内に薬が残っている感がある。しかし、明らかに回復傾向にある。軽い咳は残っている。

発症前の行動
4月13日:品川プリンスの五十三次でランチで外出。
4月14日:タイヤ交換のため横浜のディーラーへ。追加点検が発生し5時間ぶらぶら。地下街の中華料理店、岡野町のコメダ、あとは散歩など。このどこかでもらったか?

教訓
問診では発症前の行動(いつ(何時に)、どこで何をしていたか)を詳しく質問されるが、なかなか思い出せないことも多い。そういう意味でも日記を残しておくことは大切である。

2023年12月30日土曜日

2023 年の喜怒哀楽

戦争、気候変動(とにかく暑かった)、そして人の移動が確実に増加した2023年、個人としてもいろいろなことがありました。
感情の動き「喜怒哀楽」で振り返ってみます。

喜び

  • 富士山に初登頂(7月)。ご来光は最高でした。一歩一歩踏みしめて登り山頂に立ったときの喜びは忘れられませんね。
  • 還暦マラソン完走(12月)。誕生日にフルマラソンという1年計画を完了。半分は歩いてしまいましたが、なんとかゴール。まだまだのり代はありそうです。
  • 男子バスケ、オリンピックへ(9月)。自分のことではありませんが、日本最北端の地で一人テレビに齧り付き、歓声をあげてしまいました。
  • 久々のゴルフでバーディ(3月)。しばらくやめていたゴルフを再開。3月に大雨の中、元同僚とまわりました。スコアはボロボロでしたが、ショートホールで1オン1パットのバーディ。もう、これだけで十分でした。








怒り

  • TFCC損傷(10月)。左手首の激痛はこれが原因でした。捻ることができないイライラ感。約一ヶ月間、サポーターをつけての生活はかなり不便でした。
  • 時計を失う(12月)。いろいろな偶然が重なり、3年愛用したFitBitがふっと目の前から消えてしまいました。傍観していた自分にバカヤローです。そろそろ買い替えなさいというお告げだったのかもしれません。FitBitはGarminに。

悲しみ

  • 身内の不幸(4月)。義父が眠るように逝きました。老人ホームに移りまもなく入院。会話はもうできる状態ではなかったですが入院していた数日間は家族でゆっくりと過ごすことができました。我が家のネコは元気です。

楽しみ

  • 国内旅行。今年行った場所はこんなところ。
    • 網走・知床の流氷ツアー(3月)。暖冬のせいもあってか最後の流氷だった模様。流氷で埋め尽くされた海上を歩くこともできました。
    • 稚内、日本最北端の地へ(9月)。日本の端っこに行こう第一弾。涼しさを求めていったが、30℃近くまで気温が上がるという中、マラソン大会が行われていました(後から知った。宿が無いわけだ)。川内選手がぶっちぎりの優勝。生でみれたのはとてもラッキー(川内選手は、この後、MGC で素晴らしい走りをする)
    • 外国人向けのツアーの予行(5月)ということで、深川不動尊からの東京下町、箱根バスツアー、東京湾クルーズに。自衛艦に乗るチャンスも
    • 富士山から熱海花火へ(9月)。東京で見る花火とはスケールが違います。
    • 東京でラフティング(8月)。葛西臨海公園の近くにあるコースで。東京2020ではカヌーの競技場がラフティング体験コースとなっています。
  • 海外旅行。4年ぶりの海外。出張でシンガポールに行きました。シンガポールへは約30年ぶりで、当時の面影はほとんどなし。マーライオンはメンテナンスのため見ることはできませんでした。でも屋台でローカルフードを満喫。
  • Reunion(12月)。元同僚が家族旅行で来日。4年ぶりの再開。浅草で天ぷらを食す。






番外

「Japan Demand Marketing Manager」という肩書きをもらってしまったので、今年は大小さまざまなイベントに関わることになりました。

特に、東京ビックサイトでは、物流の展示会(1月)、Google Cloud Next Tokyo(11月)に関与し、 対面のセミナーも4回開催しました。シンガポール出張ではアジア・パシフィックの企業との交流を深める機会も得ました。それぞれの国の事情を直接聞けた良い場でした。


今年の断捨離

今年は、実家での断捨離が大きなテーマでした。まずは、築40数年の倉庫と母屋の脇に作られた納屋を解体。正月に業者見積もりをとったにも関わらず、途中、シロアリ駆除、母屋の工事も入り、結局終わったのは10月末。あと10数年は住める場所にはしたので、これでよしとする。


前半のんびり、後半追い込みバテるという一年でした。2024年は一年を通じてのんびり行くことにします。たぶん。



2023年1月9日月曜日

2023初断捨離

壊れたもの、三年間触れていないものを中心に選別した。

https://photos.app.goo.gl/fRjfu6QfmETdeGXY6


今年は整理の年とする。


2022年4月18日月曜日

第24回長野マラソンは撃沈

 3年ぶりに開催された長野マラソン。コロナ陽性者数がここのところ長野県は増えていたので、中止も頭をよぎったが、関係者の尽力により、選手は無事にスタートラインに立つことができた。沿道の応援はというと、東京マラソンよりは盛り上がっていたかな。でも、いつものような歓声はなかった。一部を除いて(そこまでして売り込みたい国会議員さん)。


そして、台風一過、好天に恵まれる。スタート時の気温は12−3℃といったところか。今までで一番良い条件だったと思う。沿道の桜もまだ残っていて、桃の花、菜の花は満開。いい感じだったのに・・・

しかし、体はスタート時にはすでに悲鳴を上げる準備ができていたようだ。このコースのポイントは以下の4ヶ所。

  1. 序盤のアップダウン。善光寺大門がピーク。
  2. 五輪大橋の緩い上り坂
  3. 松代、上高相のふたこぶラクダ
  4. 長ーい土手
東京マラソンから約一か月。結局ほとんど走れなかったので、3を目標にはしていたのだが、1ですでに足がズキズキ痛み始めた。そして息も上がっている。足もだめ、心肺機能もダメとは。

結果は15kmでリタイヤ。過去最短記録。でも時間はというと1時間38分なので、実はそれほど悪いタイムではない。このまま行っていれば予定通りの4時間半だったはず。



回収バスにはまだ誰もいない(15km付近にて)

しかし、このふくらはぎの痛みはどうも癖になってしまっている。根本治療が必要である。3年前も途中棄権だったので、出直しだ。そういえば、前回は暑さでやられたっけ、今年も暑い大会だった。来年もまた無事開催できるように。

2022年3月20日日曜日

東京マラソン2021

 3月6日、好天の中、東京マラソンが2年ぶりに開催された。コロナ禍で、これだけの大規模イベントを滞りなく運営できたことは、関係者、ボランティア、参加者の意識の高さの証明。感謝の気持ちでいっぱいの1日となった。

とはいえ、悔しさが強く残るレースであった。2020年の参加資格を10回目にして獲得したもののの、2年の間待たされたことになる。2年前、意気込んで購入したシューズも2回だけ試走してそのまま。しかし、そのシューズのデビューは今回見送った。なぜなら、完走を最大の目標としたことにある。

年末からの走り込みは月間50kmにも満たない状態であり、かつ左ふくらはぎがいつ壊れてもおかしくなかった。どうせまともに走れないのなら、せめて歩ける足は作っておこうと、2週間、ひたすらストレッチで筋肉を解すことに徹する。


レースがスタート。前半は6分半 /km, 後半は7分半/km を想定し、5時間でのゴールを目指す。しかし、8kmあたりで恐れていた左ふくらはぎが痛み始める。スタート直後が下りだったこともあって5分半ペースで行ってしまったのがまずかったか。ここから地獄が始まった。7分にペースを落とすも足の痛みがよくなるわけでもないが、なんとかごまかしつつ折返しを通過。後半は9分と徒歩のペース。かかとからしっかり着地すれば、痛みもそれほどでないことがわかり、徒歩と小走りを繰り返す。途中、北西の風が体を冷やす。田町の最後の折返しを通過して、制限時間内にゴールできることを確信し、ここからは半べそをかきながらのランニングであった。

ゴールのゲートが見えたときは泣いてしまいそうな気分であった。息が上がっているわけでなく、足が痛いでもなく、清々しさだけが残るゴールであった。

今回の収穫は、Garmin のペースメーカーである。まん延防止の中であり、沿道に一般の応援はほとんどなく、またボランティアの皆さんも声の応援は無し。2年ぶりということもあって、ペースを維持するにはこれが一番と考えた。正解であった。今後もレースではこれを使うことにする。

来月の長野も今のところは未定。あと一週間で足が動くようであれば、出場することにしよう。こちらも2年ぶり、しかも前回は途中棄権だったし。


Waymo + Waymo

 今回の出張でぜひ経験したいと思っていたのが、 Waymo に乗ることであった。まだ、米国でも4都市の一部の地域しかサービスをしていないが、そのうちの2都市に行くこともあり、せっかくなので、ロサンゼルスとサンフランシスコで乗ってみた。 Cripto.com Arena から マ...