2013年12月31日火曜日

2013年を振り返って

2013年は、何かと「痛い」一年でした。体の痛みだけでなく心の痛みも多かった気がします。でも痛いことを思い出すのはつらいので、楽しかったことを改めて振り返ってみます。

フルマラソンでサブ4を達成

6回目のチャレンジにしてようやく4時間を切る事ができました。毎年2つの大会(湘南国際と長野)に出場してきたわけですが、よりによって季節外れの雪の中という最悪のコンディションの中で達成できるとは、なんとも不思議な気分でもありました。ただし、この後の湘南国際は玉砕し、ワーストレコードとなりました。

では改めてこの一年間、走った距離を調べると、Garmin くんによれば、830kmとのこと。Runkeeper くんという別な計測係もいるのですが、どう考えても1000kmはいっていません。月間80kmじゃあ、記録をめざすなんてとんでもないということと自戒しています(全然楽しくないなあ)。

国内のあちこちへ

例年に比べると国内出張や旅行が多い年でもありました。東北3県+茨城、千葉の太平洋沿岸部は震災復興絡みの仕事でプライベートではなかなか行けないところにも行きました。震災復興が遅々として進まない中で強い気持ちを持っている方々が大勢いた事が印象に残っています。人のつながりが強靭になっていることも実感しました。

あとは、調査業務や学会発表で九州、大阪、東北と地方大学をいくつか訪問しました。ついつい学生だからという前提で彼らを見てしまいがちですが、自分の考えをしっかり持っている学生も多数おり、そういう学生との話はとても楽しかったです。

趣味=ドライブ&旅行

納車当日に追突事故という当たり年でしたが、たまのふらっというドライブは息抜きにもってこいでした。海か山かと言われるとやはり山ですね。

と書きつつ、?十年振りのハワイ旅行。こちらは今年一番のプライベート旅行でした。

五十而知天命(五十にして天命を知る)

孔子の言葉ですが、とうとう自分がその歳になりました。どんな天命を知るのか、この一年が楽しみです。歳を重ねるにつれて何かと億劫になってきており、適当な理由を作ってチャレンジすることを忘れてしまっていた気がします。幸いにも新しい事を紹介してくれる人々が大勢います。この恵まれた状況を活かして、一つでも多く、「うまくいった!」と言えるものをつくっていきたいと思います。

年末にまさかのできごとはありましたが、心機一転、来年は楽しいと思えることがもっと多くできるような年にしたいと思います。


最期のとき

12月28日午前0時頃、我が家のマスコット、カッピーは永眠しました。27日朝からの様子を振り返ります。

午前9時:12月に入ってから始めた輸液が無くなってしまったため、この日朝に病院に取りに行った。本来なら、翌日28日が診察予定日だったので、一日ぐらいいいかなとも思ったのだが、毎日した方が良いという病院の先生のアドバイスを思い出し、取りに行く事を決意。しかし、結局のこの輸液は封を切る事無く返す事になる。

午前9時半:病院から一旦帰宅して出勤。この時点では特に前日と様子は変わらなかった。リンゴの家の中でうずくまっていた。

この日は仕事納めとインターンで来ていた子の送別&結婚祝いということで、夕方から会食に。寄り道も考えたけれど、輸液のこともあったので早々に帰路につく。

午後10時前:帰宅。あかりをつけると、カッピーが台所の近くで横たわっていた。息が少し荒かった気がする。部屋が寒かったので、いつものように床暖房を入れた。なんとなくおかしかったので、床を見るとなぜか濡れていた。水をこぼしたのか?そんなわけはない。どうも脱水していたようだ。これはまずいと思い、タオルを電気カーペットの上に引き、とりあえず暖める。水分を強制的に与えてしばらく様子を見ると、ちょっと落ち着いた様子。この時、家人には「ヤバいかも」というSMSを送る。

午後10時半頃:時々、頭をゆらゆらさせる。水を注射器で与えるといやがって飲まない。しかも飲んでいる様子がなく。単純に口の中に入って、またそれが口から流れ出ている。頭の下に敷いた紙タオルがすぐに濡れてしまう。

午後11時頃:次第に息が荒くなってくる。一生懸命呼吸をしようとしている。鼻息がすごい。目もうつろになってきており、右目は反応がなくなっている。左目もまばたきをほとんどしない。じっと、正面を見ているだけ。二人で交互に声をかけたり、なでたり、視線の先に顔を出すが、あまり反応がない。

そのうち、自分がうとうとしはじめ、もう寝るかとなったのだが、輸液をせねばと思い、暖めるためにお湯をわかした。そして、お湯が沸いて、輸液をあたためようとしたそのとき、家人から、「変な動きをしている」との一言。体全体をそらして、ちょうど背伸びをするような感じになっている。しかし、息はもう絶え絶えという感じ。

午前0時過ぎ、そして、数分後に息が止まった。目は半開きのまま反応しなかった。体温は少しあったが、どちらかといえば冷たかった。何をしても反応がなかった。

年末に実家から送られてきたりんごが入った段ボール箱があった。そこに新聞紙とタオルを敷いて、カッピーを横たえた。りんごの形をした家がお気に入りだったが、何かの偶然かな。

1時間ほど二人とも何も語らずぼーっとしていたが、どちらが先というわけでなく、そのまま寝入ってしまった。

翌朝、まずは病院に報告。先生には暖かい言葉をかけていただいたが、こちらもまだ涙声。ネットで探した霊園を紹介してもらう。霊園に連絡すると、昼過ぎに引き取りにきてくれるとのこと。

昼過ぎ、引き取りにきた方の手には病院からというお花が。そして、カッピーはこの家からいなくなった。

カッピーがいなくなった部屋には、りんごの家、白いクッション、エサを入れる皿などいろいろなものがあったが、そのすべてを処分することにした。思い出の品は後に引くだけなので、早々に処分する事を決意した。

3日後の31日朝、霊園にお骨を取りにいく。高さ10cm、直径5-6cmの骨壺を手渡された。

2013年12月11日水曜日

ゲームによるビジネス体験

12月7、8日、仙台で開催された日本シミュレーション&ゲーミング学会の秋季大会に参加した。会場は東北大学青葉台キャンパスにある情報科学研究棟。最も奥地にあるビルの一画で行われた。

仙台は最近ちょくちょく来ているのだが東北大学は実に20数年ぶり。その当時の記憶はほとんどない。震災で多くの建物が壊れてしまい、新たにできたものもの含め、あちこちで研究棟の建設が行われていた。



さて、通称、JASAGと呼ばれるこの学会。お誘いもあっての初参加であったが、これまで参加してきたコンピュータサイエンス系の学会とはまた異質なものであった。

今回の大会テーマは「アナログゲームとデジタルゲーム、2つのゲームに架け橋を」ということであったが、印象に残ったことをまとめてみたい。

体験セッション
体験セッションと称するアナログのビジネスゲームに参加した。2-3名を単位とする10チームが部品から最終製品(ここではミキサー)を完成させ、それを販売して、利益を競い合うというもの。各チームは仕入、製造、販売価格が定められており、他のチームと競いつつも協力しあってお互いの利益を増やしていかなければならない。また、一定量の販売を求められている。つまり、ある程度の市場をまずは作り、その上で利益追求をするという現実のビジネスに近いことが体験できるわけだ。ルールはいたって単純で、どのチームと組み、相手をどう説得するかを制限時間内に考えて実行すればよい。コツというか変に考え込まずに基本に立ち返って考えれば、なんて事はないのだが、そこは人間。いろいろと考えてしまう。以前、とある企業のオーナーの前でプレゼンをしたことを思い出した。「ビジネスはシンプルにすることだよ」と。

結果、自分のチームはその基本に気づくのが遅れ、あまり利益を上げることができなかった。しかし、この体験セッションは他の学会でやってもウケるのではなかろうか。



アイスブレイク
体験セッションで、アイスブレイク(チームメイトと打ち解けること)のワザを一つ教えてもらった。相手が言った事よりも「好きなこと・もの」を相手に紹介するのである。「●●よりも、私は■■が好きです」「■■よりも、私は▲▲が好きです」というように、時間の限り言い合うのである。これで、相手がどんな人物なのがある程度わかるという。これも他で使えそう。

学生も訓練で社会人に勝る
ゲーミングの考え方を企業研修等に取り入れている東北大の先生(浜田先生)の発表がおもしろかった。BASE起業教育プロジェクトという活動ではビジネスゲームを通じて訓練された学生が時には企業研修の講師として活躍するケースもしばしばあるという。決して稀なことではないらしい。ゲームとはいえビジネスを行うための基礎を徹底的に叩き込まれた学生と、確かに働いているとはいえ、ビジネスのほんの一部しか経験した事のない社会人のどちらがデキるかと言われると自ずと答えは明らかではある。浜田先生自身は日本を離れてタイの大学に移籍するとの事。また、機会があればいろいろと話を聞きたい方である。

アナログゲームの面白さ
ボードゲームはアナログゲームの代表格だが、単純すぎず複雑すぎない、ビジネスの本質を学ぶことに絞り込むためのルールをどのように作るかがゲーム作りの魅力だという。ここで重要な考え方が「割り切る」ということだそうだ。ビジネスはシンプルにではないが、どこかで割り切って物事を進めることは確かに大切なことだ。教科書に書かれたことを一からまじめにやらないとダメ的な発想はここでは通用しない。

最後に、東北大ならでは?のポスターを発見。



2013年11月28日木曜日

東京モーターショー ドイツ車編

 まずは、BMW i8とi3。i3は実用性が高そうな気がした。



Audi は先日発表された、A3 e-tron。ハイブリッドカー。前面部分からケーブルが伸びている。展示されているのはこれ以外はR8とか大きいやつが中心。


メルセデスのコンセプトカー、S-Class。前面がかっこ良い。ヘビに睨まれたなんとかのように見入ってしまいました。




3 年目に

ねことの同居もはや3年目に突入。暑い夏をなんとか乗り切ったものの、老いには勝てず、ここ1−2ヶ月は投薬と介護が続いている。食べては前足で口をかき、水を飲んでは口をかきの連続。前足も口も傷つくため、こんなものを付けてみた。

体重も2年前に比べるとかなり落ちたし、ほぼ一日ソファで寝ている。以前は、帰ってくるとエサを欲しがって玄関まで歩いてきたものだが、今はこちらが与えるまでは微動だにしない。なかなかふてぶてしい。

 この口の痛みさえなければまだまだ大丈夫らしいのだが・・・なんとかならんものかなあ・・

2013年10月3日木曜日

ハワイでラン3連発

これもだいぶ前の話ではあるが、ハワイに遊びに行ったときに走った場所。10年振りで、今回はKo Olina メインでの滞在となった。ちなみに、前回の主な滞在先であった Makaha はホテルが無くなっていて雑草が生い茂る荒れた場所となっていた。

1)Ko Olina Beach
今回泊まったマリオット前のビーチ。約5km。朝7時頃だったけれどすでに日も高く、湿気もあったので、汗だくだった。


これは確かナイアラグーン。

2)Ko Olina のゴルフ場と住宅街
ホテルに隣接するコオリナ・ゴルフクラブからさらに奥にある住宅街まで行ってみた。コオリナ・ゴルフクラブは、LPGA ツアーが開催される名門コースで、2012年のチャンピオンは宮里藍選手だった。そのせいかな、ホテル内には藍ちゃんのポスターが結構張られていた。この日はちょっとがんばって7km。夕方で小雨だったものの、風があったので比較的走りやすかった。


3)ダイヤモンドヘッド一周
約9km。スタートはホノルル動物園の入口。ダイヤモンドヘッドの南側から反時計回りで一周してみた。ホノルルマラソンはこれとはちょうど逆で、地図の右側から左側に抜けて、動物園前でゴールだそうだ。それにしてもアップダウンがきつかった。ゴール手前でこの坂を上ることを考えると、湘南国際なんてと楽なもんだと思ってしまう(が実際はきつい)。


日曜日の朝だったこともあり、大勢のサーファーが繰り出していた。ただ、波が穏やかでただただボードにのってプカプカ浮かんでいるだけなので、遠目にはアザラシの大群のようにも見えたのもまた事実。



そしてこちらはダイヤモンドヘッドの裏側で、この山の向こう側がワイキキビーチにあたる。このあたりは普通に住宅街という感じで、人の気配はほとんどなし。


平らなようで実はきつい坂でした。

2013年10月1日火曜日

サンフランシスコの伝統レース「Bay to Breakers」

だいぶ前の話となります。5月に出張に行ったタイミングでサンフランシスコの伝統レース「Bay to Breakers」(http://baytobreakers.com)という大会があり、今後、こんなタイミングでサンフランシスコへ行く事もなかなかないかなと思い、参加しました。海外初レースでもありました。

この大会は、1906年のサンフランシスコ大地震からの復興を目的として1912年から開催されている歴史ある大会です。コースは、サンフランシスコ市内東側のエンバーカデロから海岸沿いのグレートハイウェイまでの7.46マイル(12km)。このサンフランシスコ市街地を横断するコースは、スタートから最初の3分の1がビジネス街を、次の3分の1が住宅街を、そして残りがゴールデンゲートパークという公園内からなり、サンフランシスコならではのかなりきつい高低差もあります。







毎年50,000名以上のランナーと10万人を超える観客が集まり、世界のトップランナーがスピードを競う一方で、コスプレランナー(中には「ハダカ」のランナーも)が多数参加する大変盛り上がる大会です。毎年5月第3日曜日に開催され、今年は5月19日でした。





この日は快晴で気温も14℃と絶好のレース日和。スタートは本人申告のゴール予想時間に基づいて5つのブロックに分かれます(申し込みが直前だったので一番最後のブロック)。

午前7時に最初のブロックがスタート。最初のブロックは白バイ先導で本格的です。一番最後のスタートは8時過ぎでした。さすがに5万人もいるとスタートラインを通過してもすぐに走れるわけではありません。500メートルほど過ぎてからようやくランが始まりました。スタート直後は足下になぜかトルティーヤが・・・こちらの習慣なんでしょうかね? 最後のブロックということもあって、タイム狙いよりもコスプレで楽しもうという人が多かった気もします。老若男女、ランナーも沿道の人々も本当に楽しめるレースでした。


Golden Gate Park に入ってからはほぼ下りが続き、のんびり、ゆったりという感じでみんなは知っていました。

ゴールした後は、そのままバスに直行。コスプレコンテスト(Photo)もあったようです。参加費の中にバス代も含まれているので、ゼッケンを見せるだけでOK。バスは一路スタート地点へ。



同じバスに疲れきったコスプレお兄ちゃんが乗っていました。この姿でダウンタウン(ここはFinancial Districtですので、平日はスーツ姿が多い)を歩いているのはやはり変です。

当初予定はホテルのチェックアウト時間に間に合わないかもと思ったのですが、早めにバスに乗れたので、混雑もなく、10時過ぎにはホテルでくつろいでいました。このオレンジ色のシューズは一応これにてお役ゴメンとなりました。


今回走ったコースはこちら

2013年9月28日土曜日

箸が持てない2日間

何かとついていない2013年だが、ここに来て自虐ネタになりそうなことが続けざまに起きた。その一つが「石灰沈着性腱板炎」という病気。

それは突然やってきた。月曜日夜、夕食をとり、くつろいでいたその時、右肩から右腕にかけて急にしびれ始めた。昼間の運動のせいだろうと思い、バンテリンを塗ってみるも、そのしびれは取れず、むしろ痛みが右腕全体に広がってきた。特に肩の前方、ちょうど関節部分が細いものでえぐられるような感じ。

横になるも、なかなか寝付けない。痛くないところを探ろうと寝返りを打つも、どのポジションでも痛い。知らぬうちに寝てしまったようだが、早朝になり、痛みに耐えられず、そのまま起床。しかも、何が不便って、着替えができない、歯ブラシももてない、もちろん箸も持てない。右手を使うことが何もできないのだ。普段、上下左右自在に動かしている右腕がうんともすんとも言わず、右腕を上げるには、左手で右腕の手首をつかんで持ち上げるしかないない。

なんとか、痛みをごまかしながら、午後にかかりつけの医者に行ったところ、レントゲンに薄い白い影が映っており、即、この病気という診断に至った。その名の通り、石灰(チョークと同じように本当に粉らしい)が腱に沈着する病気で、何かの拍子で石灰が飛び出し、体内で異物と判断されて炎症が起きるメカニズムとのこと。通常は、肩関節の外側に発生するらしいのだが、自分の場合は、関節の内側に発生したようだ。

この日から、薬を(といっても、ボルタレン25mgという鎮痛剤なのだが)毎食後に処方する。水分をとにかくとれという指示もあり。前夜、ロキソニンがまったく効かなかったでこれで大丈夫かと思ったのだが、翌日(2錠目を飲んだ後)にはだいぶ痛みも引いて、3日目朝には今回の痛みが発生する前まで戻った。原因の石灰が消滅したようだ。

とはいえ、まだ肩の可動範囲は狭く、腕のストレッチができるまでにはまだまだ時間がかかりそう。4日目になってジョギング程度はOKといわれたものの、お酒はあと一週間は我慢。リハビリと電気治療を粛々とこなす日がまだまだ続く。

2013年9月2日月曜日

ハンバーガーを食べに行ってきた



クワアイナといえば、都内にもあるハワイ生まれの美味しいハンバーガーショップ。その一号店に行ってきました。場所は、オアフ島のノースショア、ハレイワ(Haleiwa)という町にあります。町中を走る一本道沿いに並ぶお店です。

てっきりHonoluluが一号店だと思っていたらこちらが始まりだったことをお店に入ってから知るという大ボケ。こちらがお店の外からの写真。とにかく暑いです。



ハンバーガーだけでなくサンドイッチも含めて豊富なメニューの中、チーズバーガーを選択。バンズも選べましたがよくわからなかったのでレギュラーのままです。ちなみに、奥にあるのはアボカドバーガー。ポテトは細めです。ドリンクカップにはHareiwa-Honolulu-TOKYOの文字が。Tokyo ってえらい広いんですが・・・



肉を食べたという満足感を得るに十分な量でした。

店内の写真を撮り忘れたのですが、20席ぐらいのわりとこじんまりしたところです。


こちらは、お台場店。同じくチーズバーガーを頼んでみました。何か違うなと思ったら、玉ねぎとレタスの大きさが全然違いますね。カップのデザインも東京はシンプルですね。あと、Haleiwa のものにはちょっと見にくいですが、人参とピクルス(きゅうり)がそれぞれ1本ずつついています。人参をボリボリ食べるのもまたいいものです。


あと細かいことでは、トレーやバスケットも違うか。。。

味はというと、記憶が確かなら日本の方が少しあっさりかな???



2013年8月13日火曜日

マラサダを比較する

一見、揚げパンのようなスイーツ「マラサダ」。もともとはポルトガルのお菓子で、その後、ハワイに渡ったとのこと。人生初の「マラサダ」は、 Waianae Regional Park というところで、乗船前にいただきました。

「冷めるとまずくなるから」と急かされ、熱々をいただきました。それがその時の写真。思った以上に熱いんです、これが。白い粉のようなものは砂糖です。食感はふわふわしたドーナツかな? 


日本に戻ってから改めて調べて見ると、実は近所にお店があることを発見。横浜のワールドポーターズ内に出店していました。ピンクのロゴも本家といっしょです。


味は本家と同じ。ただ、冷めるとしぼんでしまうため、ふわふわ感が薄れます。

そしてもう一つ。これはローソンで見つけたマラサダ。 袋に入ったマラサダを店頭でチ~ンのあと、味付けパウダーなる(ほぼ砂糖)を袋の中に入れて、振ること10回。表面にパウダーがついたマラサダの完成です。この時は、振りが弱かったのか、パウダーが均等につきませんでした。


さすがに本家の味とは違ってましたね。

ローカルスイーツとして地元ハワイでも有名らしく、土日はお店にも行列ができるそうです。せっかくだからということで、日曜日の朝10時頃に行ってみたところ、10台ほど停めることのできる駐車場は満杯でした。ホノルル中心街から車で5分ほど。

お店情報:

2013年8月3日土曜日

ETCも人もいない有料道路の料金所って

東金九十九里有料道路」。まさかというか、ETCでもない、そして人もいない(正確にはいないわけではなくて、隣接する建物の中にいる)料金所に初めて出くわしました。そして、やらかしてしまいました。

晴天の中、九十九里の海岸線を走り抜け、見えてきた料金所。人がいる気配がないので遠目にはETCかなと思いきや、実はこれが自分でお金を入れるタイプのものと判明。その金額200円。

ごそごそとカバンの中から財布を取り出すものの、小銭がない、しかも千円札オンリーでその千円札が財布の中に一枚もない。そうこうしているうちに後ろに車がどんどんやってくる。係員がどこにいるのか、どうやって呼び出すのかさえもわからない。

そんな中、後ろの車の運転手の方が親切にも200円を貸してくれた。そしてそのお金を機械に入れようとしたときに、「どうしましたぁ〜、何かトラブルですかぁ」と頭の上の方から聞こえてきた。「小銭がないんです〜。千円札もありません〜」と答えると、あらどこから来たのか、係員のおじさんが目の前に登場。

借りた200円は運転手の方にお返しし、係員のおじさんに両替してもらい、無事通過。

さて、こういう状況だとクラクションを鳴らされることが多いのですが、この時は誰も鳴らしていませんでした。後ろについてしまった数台の車の方、どなたかは存じ上げませんが、文句も言わずに待っていただき、申し訳ありませんでした。

今日の教訓:運転前に小銭も確認!

2013年6月2日日曜日

払沢の滝

都心から車で小一時間で行けるところということで、奥多摩、払沢の滝へ行ってきました。初めての場所ではありませんが、最後に行ったのはいったい何時だったか思い出せません。 日曜日で天気も良く、かなりの人出だろういう予想は見事に裏切られました。

さて、駐車場の看板をまずはチェック。滝までは歩いて15分。1km弱ってことか。


目に飛び込んできたのがこの建物。郵便局というわけでなく民芸品を販売しているお店です。もともとここにあったわけではなさそうです。


なぜかカウンター。人数を数えているとのことで、上にあがる人は自分でボタンを押せとの説明。とりあえず一回押しておきます。5171人目でした。


沢沿いをひたすら歩きます。水がとても奇麗です。


道中はこんな砂利道が続きます。適度な上りでこの道幅。気温も低めで人気もないためやや早足で進みます。ただ、いつの間にかジョグしていました。


これはおそらく水道です。飲料水としても利用されているとのこと。


そして道も険しくなり、


滝に到着です。全高60メートルとのこと。マイナスイオン全開といった感じ。



滝壺といっしょに。写っているのは下段の方ですね。この上にさらに滝は続いています。


名前はわからないのですが、いろいろな花も咲いていました。




そして、帰り道も結局ジョグしている自分がそこに。滝もいいですが、遠方の山並みと緑が目の保養になります。


今日は中央道上野原ICから33号線で檜原まであがり、帰りは五日市からあきる野IC経由片道1時間半の小旅行でした。

交通事故

4/27 15時半。大田区東海4-10の交差点で事故が発生しました。その当事者の一人だった自分。この一ヶ月間、事故処理でいろいろあったので今後のために(もう二度と関わりたくないけど)メモを残す事にします。

■事故発生
ちょうど信号待ちをしていたところでした。右折レーンで待っていたところにガリッという音とともに車が上下に大きく振動しました。サイドミラーを見ると、後ろのトレーラーの運転手が降りてくる様子が見え、ようやくぶつけられたことに気づきました。たぶん、普通ならすぐに気づくのでしょうが、実は運転していた車はこの日の午前に納車されたばかり。翌日から遠出することもあり、少し慣れておこうと近所をぐるりと回っていたときでした。メーターは初乗りから7kmしか進んでいません。

新車でいきなりこれはないだろうと思い込みたい気持ちもあって、しばし呆然としていました。そんな様子を見て、トレーラーの運転手も何かを察したのでしょう。とても迅速にかつ親切に対応をしてくれました。お互いの車を路肩に停めて、警察への報告、後の事故処理に必要なお互いの情報の交換など、手際よくやってくれました。

ようやく気持ちも落ち着いて、ぶつけられたところを見ると、

・リア部分にこぶし大のへこみ
・バンパーには相手方のバンパーが食い込んだ跡
・リアカメラが破壊

という状況でした。

状況を確認したあと、保険会社へ連絡。ただ、そもそも保険も入ったばかりで連絡先がわからず、納車をしてくれたディーラーの営業の人に連絡したところ、まさかの出来事にあわてた様子でした(そりゃ、そうでしょう)。



■警察到着
路肩に自動車を停めたときに、パトカーが通りかかったのですが、あっさりと無視され、結局警察が到着したのは15分以上たってからのこと。現場検証が始まります。といってもすでにトレーラーの運転手が100%加害者であることを認めているので、免許証と車検証の確認が終わると、あとは簡単に事故の様子を説明するだけでした。時間は約10分。あっさりしたものです。

土曜日ということで、保険会社もお休みなため、あとの処理は翌週に持ち越しです。

■そして自宅へ
自走はできる状態だったので、自宅に戻り、家族に事故の状況を話すと「ちっちゃくて見えなかったんじゃない」という厳しい一発をくらいました。

まあ、それはそれとして、初乗りからわずか10分たらずで事故車となり、その日のうちにディーラーに修理のため持ち帰ってもらいました。代車費用も保険の対象とのことだったので、こちらも手配してもらいました。コンパクトカーでしたが、意外に乗り心地も良く、こっちでよかったんじゃないという悪魔のささやきが助手席から漏れていました。

■相手先からお詫びの連絡
休日明け、加害者の方が所属する会社からお詫びの連絡がありました。これまた非常に丁寧な対応で、きっちり対応させていただきますという回答。大手でしかも古参の会社で信用はしていたのですが、直接話を聞いて少し安心しました。

■そして病院へ
むち打ちが恐い・・といういろいろな方のアドバイスを受けてとりあえず検査のためかかりつけの整形外科へ。レントゲンを見る限りは異常はなし、ただし右肩周辺の筋肉がかなり緊張していますねという診断。おお、これはもしやむち打ちかと思ったのですが、その4日後の再検査でも異常なしということで、ひとまず安心。後で考えると、筋肉が固まっていたのは、前週の雪中マラソンの後遺症だった気がします。ちなみに、この病院のことを保険会社に伝えたところ、「できれば次は別な医者にしてください」という回答がありました。どうも高額請求者で有名らしく、保険会社としてもできるだけ出費を抑えたいとのこと。普段、通院していて特に高額請求されたこともないので、疑問を持ちつつも、「わかりました。異常なしと診断されたらもう行きませんからご安心ください」と伝えました。

■同じ保険会社なのに
今回はこちらが賠償することは一切ないため、相手方の保険会社とのやり取りのみでした。まず連絡があったのが東京都内の営業所から。自動車の損害状況に加えて、病院にいって検査をしたことを伝えると、「傷害については担当が変わりますので、改めて連絡します」とのこと。結局、2度同じ話をすることになりました。

話を2回する程度ならいいのですが、さすがに書類に同じようなことを書かされたのは正直いい思いはしませんでした。同じ会社なんですから、もうちょっと情報共有して欲しいものです。

■そして修理が終わり
5/22 、「新車同様にきっちり修理します」の言葉通り、きれいになって戻ってきました。事故から3週間後でしたが、まあ、連休あり、部品調達のことを考えるともともとこれぐらいはかかったのかもしれません。平日夕方に受け取り、すぐにでも運転したい気持ちでしたが、今回はおとなしく週末まで待つ事にしました。

過去、修理を必要とする事故に出くわしたのことが2回あります。いずれもドア一枚をそっくり交換するそこそこの大きさでしたが、幸いにけが人はいませんでした。今回は、後ろがちょっと凹んだ程度なので、これらに比べると遥かに小さなものでしたが、なにせ納車したばかりということで精神的にかなり凹みました。

FBでぼそっとつぶやいた後、いろいろ励ましの言葉もいただいてかなり救われました。特に「車が自分の代わりに怪我したんですよ」という言葉には、うるうる来てしまいました。

車も体も元気になったので今日は奥多摩へドライブ。天気予報が外れ、とても良い天気でしかも渋滞もなく、気分転換にも持ってこいでした。








2023 年の喜怒哀楽

戦争、気候変動(とにかく暑かった)、そして人の移動が確実に増加した2023年、個人としてもいろいろなことがありました。 感情の動き「喜怒哀楽」で振り返ってみます。 喜び 富士山に初登頂(7月)。ご来光は最高でした。一歩一歩踏みしめて登り山頂に立ったときの喜びは忘れられませんね。 ...