2016年9月25日日曜日

晴れ男>雨男

父親の四十九日法要が無事に終了。

前日はそれまでの大雨で近隣の河川はごらんの通り。普段は「清流」が似合う流れなのに、この日はまさに濁流。台風&秋雨前線、恐ろしや。


そして当日。朝は湿度は高いもものうっすらと青空も出ていた。母親曰く「やっぱりあの人は晴れ男や」と。しかし、この数時間後、雨は本降りとなってしまった。土砂降りの中の納骨はいやだねえなんて皆で話をしていたのに、雨男の自分がどうやら勝ってしまったらしい。


自宅での30分ほどのお経を終え、納骨のために皆でお寺に向かう。お寺に到着すると、あれれという感じで雨が上がってきた。お墓に納骨して、お線香を上げる10分間は傘いらず。さすが晴れ男と言われただけのことはある。最後の最後まで記憶に残ることをやってくれた。

ちなみに、この土地では納骨は骨壷(実際には壺でなく骨箱であったのだが)をお墓に納めるのではなくて、お墓の下の空間に撒くというスタイルであった。どうやって土に返すのかなと思っていたのだが、これで納得がいった。

この後は、中学の同級生が営む地元の店で食事会(お斎)。久々の「鯉こく」は味わい深かった。そして、再び雨足が強くなる。あの世に行って、お役ごめんと思ったのか・・・

さて、やっかいなことをいろいろ遺してくれたので、あとは淡々と片付けますかね。



2016年9月16日金曜日

やってみてから考えるという仕事スタイル

「まずはやってみませんか」「最初にイメージをつかみたいので、これを元に作ってください」・・・開発現場で時々聞く言葉である。仕事の依頼元が言う場合もあるし、開発側から提案する場合もある。

今回、依頼元からこの言葉が発せられたのだが、これがこの仕事の失敗(もとい、苦い経験)の原因だった気がする。

依頼元がプロの場合、経験もノウハウもあるので、少しばかりおかしな方向に進んだとしてもすぐに軌道修正ができる。そう、落とし所がわかっているのである。しかし、相手が経験に乏しい、あるいは自分のやり方だけに固執している場合、気をつけなければならない。納期が迫っている、見積もり条件を超えてしまうという切羽つまった状況でさえ、「なかなかイメージがつかめないんで」と無茶なことを言ってくる。ひどい場合は、「私はこの仕事に慣れていないんだから、あなたがきちんと言わないからいけない」と逆ギレされることもある。実際、今回は逆ギレされた。

今回のケースでは、さらに、
  • 利用者不在:利用者にとって良いものをと言いつつ、お構いなしに自分のやりたいことをどんどん盛り込む。結果、何をするものかがわからないものができるという状態に。
  • 無言のレビュー:節目節目できちんと中間成果物を出し、修正箇所はあるかと問うているのに反応もせず、最後になって「所詮中間であって、私は承認したわけではない」という。じゃあ、なんのためのレビューだったんだ。
  • 正しい情報が与えられない:「これが正しい情報です」「これが確定情報です」。しかし、誤字脱字、難解な情報がそこに必ず存在する。中には正しかったものをわざわざ誤ったものに修正することも。結果、余計な作業を負わされることになる。
  • 打ち合わせ依存性:電話一本、メールで一行書けば済むことでも「打ち合わせしたいので来てください」という。今時、リモートで打ち合わせする手段はいくらでもある。
ということも重なった。精神衛生上、最悪の状態はなんとか乗りきったものの、いまだにじっと我慢の子である。

まあ、こちらにも非がなかったわけではない。相手の能力を過信していたこと(見抜けなかったわけだ)、前任者との仕事スタイルを前提にしていたこと(仕事をちゃんと引き継いでいるわけではない。常に初めてという気持ちが必要)は否めない。

「やってみてから考えましょう」という仕事は、仕事相手との信頼関係の上に成立する。信頼できない相手とは決してやっては行けない。