2022年4月18日月曜日

第24回長野マラソンは撃沈

 3年ぶりに開催された長野マラソン。コロナ陽性者数がここのところ長野県は増えていたので、中止も頭をよぎったが、関係者の尽力により、選手は無事にスタートラインに立つことができた。沿道の応援はというと、東京マラソンよりは盛り上がっていたかな。でも、いつものような歓声はなかった。一部を除いて(そこまでして売り込みたい国会議員さん)。


そして、台風一過、好天に恵まれる。スタート時の気温は12−3℃といったところか。今までで一番良い条件だったと思う。沿道の桜もまだ残っていて、桃の花、菜の花は満開。いい感じだったのに・・・

しかし、体はスタート時にはすでに悲鳴を上げる準備ができていたようだ。このコースのポイントは以下の4ヶ所。

  1. 序盤のアップダウン。善光寺大門がピーク。
  2. 五輪大橋の緩い上り坂
  3. 松代、上高相のふたこぶラクダ
  4. 長ーい土手
東京マラソンから約一か月。結局ほとんど走れなかったので、3を目標にはしていたのだが、1ですでに足がズキズキ痛み始めた。そして息も上がっている。足もだめ、心肺機能もダメとは。

結果は15kmでリタイヤ。過去最短記録。でも時間はというと1時間38分なので、実はそれほど悪いタイムではない。このまま行っていれば予定通りの4時間半だったはず。



回収バスにはまだ誰もいない(15km付近にて)

しかし、このふくらはぎの痛みはどうも癖になってしまっている。根本治療が必要である。3年前も途中棄権だったので、出直しだ。そういえば、前回は暑さでやられたっけ、今年も暑い大会だった。来年もまた無事開催できるように。

2022年3月20日日曜日

東京マラソン2021

 3月6日、好天の中、東京マラソンが2年ぶりに開催された。コロナ禍で、これだけの大規模イベントを滞りなく運営できたことは、関係者、ボランティア、参加者の意識の高さの証明。感謝の気持ちでいっぱいの1日となった。

とはいえ、悔しさが強く残るレースであった。2020年の参加資格を10回目にして獲得したもののの、2年の間待たされたことになる。2年前、意気込んで購入したシューズも2回だけ試走してそのまま。しかし、そのシューズのデビューは今回見送った。なぜなら、完走を最大の目標としたことにある。

年末からの走り込みは月間50kmにも満たない状態であり、かつ左ふくらはぎがいつ壊れてもおかしくなかった。どうせまともに走れないのなら、せめて歩ける足は作っておこうと、2週間、ひたすらストレッチで筋肉を解すことに徹する。


レースがスタート。前半は6分半 /km, 後半は7分半/km を想定し、5時間でのゴールを目指す。しかし、8kmあたりで恐れていた左ふくらはぎが痛み始める。スタート直後が下りだったこともあって5分半ペースで行ってしまったのがまずかったか。ここから地獄が始まった。7分にペースを落とすも足の痛みがよくなるわけでもないが、なんとかごまかしつつ折返しを通過。後半は9分と徒歩のペース。かかとからしっかり着地すれば、痛みもそれほどでないことがわかり、徒歩と小走りを繰り返す。途中、北西の風が体を冷やす。田町の最後の折返しを通過して、制限時間内にゴールできることを確信し、ここからは半べそをかきながらのランニングであった。

ゴールのゲートが見えたときは泣いてしまいそうな気分であった。息が上がっているわけでなく、足が痛いでもなく、清々しさだけが残るゴールであった。

今回の収穫は、Garmin のペースメーカーである。まん延防止の中であり、沿道に一般の応援はほとんどなく、またボランティアの皆さんも声の応援は無し。2年ぶりということもあって、ペースを維持するにはこれが一番と考えた。正解であった。今後もレースではこれを使うことにする。

来月の長野も今のところは未定。あと一週間で足が動くようであれば、出場することにしよう。こちらも2年ぶり、しかも前回は途中棄権だったし。


2022年2月13日日曜日

ブースター接種経過観察

 COVID−19ワクチン、いわゆるブースター接種をする機会が思ったよりも早まり、早速接種を行った。以下は接種後の経過観察。今回はタイミングを見誤ったことが大きな反省となった。

2回めまでの状況

2021年6月30日、7月28日に「武田/モデルナ」を職域接種。六本木ヒルズ森タワーにて。そこから6ヶ月が経過したので、ブースターを接種する権利を得る。

予約から接種当日まで

接種券が届き、港区の予約サイトにて2月7日の15:30 を予約。場所は赤坂の国際福利医療大学の10階。自宅からモノレール、JR、銀座線と乗り継いで現地へと向かう。天候は晴れ、乾燥、気温はそこそこ低い。

職域接種のときと同じで、接種券と本人確認、軽い問診のあとに、接種。今回も「武田/モデルナ」とした。こちらの場合、2回めの半分の量とのこと。15分ほど会場で休んだあと特に問題もなかったので、帰路へ。一日1万歩以上を継続していたこともあり、赤坂から浜松町まで徒歩、そのあとモノレールを使った(ちょっと疲れた)。

接種日当日

特に不調なところはなし。体温も平熱。接種したところに若干の痛みがあったものの、いわゆるモデルナアームという状態からは程遠いものであった。

2日目(2月8日)

起床後、強い倦怠感。頭痛も始まっており、体温はやや高い(37度前後)。それ以上に喉がガラガラで声がまともに出ない。無理をせず、完全オフとすることにした。食欲は普通。午後から熱が上がってきて、37度5分ぐらいまであがる。早めに就寝。夜中に汗で目が冷めて、着替えて再び就寝。

3日目(2月9日)

起床時はわりとすっきりしており、体温も36度台まで落ちたので、これで安心と思い、いくつかの会議をこなす。しかし、昼からまた体温が上昇。37度7分ぐらいまであがる。翌日は当番出社でもあったので、しかたなく薬に頼ることにした。ランチのあとタイレノールをまずは1錠処方。その後、少し下がり、2本の会議をこなす。が、夕食のあたりに再び体温が上昇。しかも咳もひどくなってきた。就寝前にタイレノールを2錠処方。

4日目(2月10日)

大雪警報が出るのではないかという予想もあったが、都心は雨。まだ完全復活ではなかったが、重装備をして、出社。午前に2つの会議だったが、咳が止まらず、だいぶ迷惑をかけてしまいった。せめてお昼まではいようと思い、いつも弁当屋さんで焼肉弁当とお味噌汁を購入。食欲はいたって普通。味覚もほぼ正常。あと変わっているところではそれほど鼻水が出ない、しかし、鼻の奥の方になにか引っかかる感じが残る。十分に鼻呼吸ができるはずなのに、なぜか口呼吸になっている。帰宅後の体温は、37度5分。やはり上がっていた。でもこれ以上あがる気配がないので、しんどい、つらいというわけではない。頭痛はやっかいだが。

しかし夜中(12時杉過ぎ)になって、状況が一変。咳が止まらない。横になっているとどうやら咳が出続けるようなので、ベッドを這い出して、リビングに移動。水をコップ1杯飲んでようやく落ち着いた。咳をすると頭に響くので、これはしんどかった。

東京家族という映画をちょうど放送していたので、最後まで見て、咳が止まっていることを確認して再び就寝。

5日目(2月11日)

結局、都心の積雪はほとんどなかったが凍結があちこちであったため、あちこちで自動車の事故が報告されていた。今日もほぼ同じパターンで、起床後は平熱、昼過ぎからじわじわ上がってきた。咳は前夜ほどではないが、でもちょいちょい出てくる。予約していた天ぷらもキャンセル、完全オフとする。ここ数日の経験から、乾燥が大敵であることから水分補給や加湿器を全開し、タイレノールはなるべく処方せず、つらくなったら横になることを継続する。今日は、平野歩夢選手がゴールドメダルをゲット!レベルの違いってこれだよねというのを実感する。

6日目(2月12日)

起床後の体調は変化なく。念の為かかりつけの病院で検査をしてもらうことにした。胸のレントゲンとPCR検査を実施。微熱、咳、頭痛が残っていることを伝えたが、確固たる病名はわからず、咳止めと気管支喘息を抑える薬を処方される。最後に来院したのは4ヶ月前だったが、待合室はパーティションでコロナの感染していそうな人たちとそうでない人たちが明確に分けられていた。診察室も別々。診察室の中も、簡易的な減圧空間が作られていて、医療従事者をウィルスから守る手立てが施されていた。

さて自分はというと、薬の処方で咳も微熱もおさまり、頭痛も気にならない程度までになった。風に似た症状。ワクチン接種の前日、15km を寒空の中散歩したのが体にはだいぶ負担になっていたのかも。

7日目(2月13日)

起床はすっきり、咳もほぼ止まっている。微熱もなし。PCRの検査結果がまだ届かないので、なんとも言えないが、明日からは通常営業は可能と思われる。インフルエンザにかかったときと同じ感じで、もやもやしたものが抜けたーという感じである。


2022年1月3日月曜日

2022年は「とら」で捉える

 2021年の振り返り=反省と、今年の抱負を書いてみる。

2020年に引き続き、コロナに振り回された2021年ではあったが、オリ・パラが開催され、11月あたりから少しずつ人の動きが活発になってきた。オミクロンという得体のしれないウィルスに世界はまた大騒ぎになっているものの、現時点で日本はまだコントロールができているようにも思える。

ではまずは2021年の振り返りから。 

  • 資格取得かスキル研鑽。特に英語だな
    • 資格そのものは取れなかったが、英語に磨きをかけるべく、オンラインのスクールに入って週3ペースで続けている。実業でも使う頻度、レベルが格段に高くなってきてしまっているので、2022年はさらに高みを目指す必要あり。
  • 四国を全制覇
    • 緊急事態宣言などで外出が極めて難しい状況が続き、実家への帰省もなかなかできない一年であった。ただ、12月に鹿児島県に初めて旅行(未踏の県はあと5つ)。その後、思いつきで姫路日帰り旅行を敢行。海外はゼロ。飛行機の搭乗ゼロ回はなんとか避けることができた。
  • 自筆の書籍を1冊
    • 遅れに遅れて春に1冊出版にこぎつけた。
  • 月100 kmラン
    • 年で345 km!昨年より少ない。最長は12月のある日の17kmという引きこもり生活であった。
  • 体質改善(体重を30年前のレベルに)
    • 体重はむしろ増えてしまっている。ただ、体質という点では、血液検査の結果は良好。お酒がぐっと減ったせいだろう。平均すると一日4700歩(ラン分を除く)。ただし、7-8月、12月は6000歩超え。夏の歩数はなんとなく始めた七福神巡りのおかげ。こちらは23区内の七福神を9箇所巡った。一番印象に残っているのは浅草名所七福神かな? 12月は旅行に行ったことが大きな要因。特に姫路では初の30,000歩超え。やはり何か物的目標がないとだめだなあ。
あと記憶に強く残った出来事はやはり、オリパラ。パラのボランティアは本当にやってよかった。世界一のスポーツ祭典でメインスタジアムでの活動なんて一生にあるかないかの出来事に違いない。しかも、最終日、最終競技の女子マラソンは金メダル。国立で君が代を聞けるなんて想像もしなかった。

さて、断捨離は2021年は、それほどなくて、最後にMac miniを廃棄した程度。衣料品はというとこちらもそれほどでもない。

エディー・バウアー日本撤退、これはちょっとショックなニュースであった。全店舗+ECがクローズということで、2022年のブランド選定が大きな課題となった。

さて、寅年の2022年は、G社オフィスも変わったので、自社オフィスも含めて、定期的に行くことになるだろう。必然的に外出が増えることになる。以下が目標である。
  • 資格取得かスキル研鑽
  • 九州を制覇する
  • 月100kmランとフルマラソン2本を完走
  • 体質改善(体重を30年前のレベルに)
  • 60歳代に向けた仕込み(趣味、仕事の両面で)
箱根駅伝、「パワフル大作戦」で完全優勝をした青山学院大学。全10区中3区間をトップで制するといったぶっちぎりであった。自分もこれにあやかってパワフル大作戦といくことにしよう。何事も前向きにパワフルに。

コロナにかかって

この時間、 長野マラソン に出ていたはずだったのだが、コロナに罹患してしまい、自宅でライブ配信を見ながら、このブログを書いている。一週間の顛末を残す。 コロナに診断された方へ(かかりつけの医者の指示から) 発症後5日間、かつ解熱、症状軽快から24時間が経過するまでは外出を控える ...