2017年11月5日日曜日

TMS2017

東京モーターショー、最終日に見学。


マツダブースは一台を除いてすべてレッド。カープ愛を感じた。
トラックブースのカメラマンの数半端ない。


富山マラソン2017

10/29、今年は雨の中の大会でした。気温はそこそこ、だけどやはり雨は冷たい。
時間が経つにつれ雨足も強くなるなり。

ちなみに、この日は台風22号が接近する中での大会で、同日には金沢、水戸、横浜(結局中止)、しまだ大井とあちこちで開催されておりました。

さて、今回の記録はRUNNET応援ナビより。


はい、今回も大波賞。前半が30分/5kmに対して、後半は40-45分。最後の5kmはコースも変わって平坦となり、もうちょっと楽に走れるかなと思ったのですが、結果はボロボロでした。

当日の天候、見ての通りですね。新湊大橋を通過する11時過ぎから降水量も風速も強くなっていることがわかります。


今回は前日も遅めの入り、レース後もさっさと帰京だったのでかなり慌ただしかったですが、レースそのものは楽しめたかなという感じ。

こちらはアルバム



2017年9月19日火曜日

初めての日光へ

台風18号が日本列島を縦断する9月の三連休。日光へ2泊3日の小旅行へ。人生初めての日光 。

大修理を終えた陽明門へ

今年の3月に竣工したばかりの陽明門。鮮やかな金色、細かいところまで手が入った細工といい、絶景であった。その前には、例の三猿が。しかし実はこれには物語があって、人生一生が猿に寄って描かれているとか・・・日本史をまともに勉強していなかったことを少しばかり恥じる。





東照宮を散策すること約2時間。天気予報の通り、雨もポツポツやってきたので、今日のお宿へと向かう。

日光金谷ホテル。1873年に東照宮で笙などを演奏する楽師だった金谷善一郎が自宅の一部を宿泊施設としたのが始まりだという。その時の進言したのがJ. C. Hepburn博士。日本ではヘボン式ローマ字の考案者として有名な方である。

この「ヘボン」もとは「Hepburn」とのこと。オードリーヘップバーンと同じ発音なのである。なぜ、ヘボンになったのか?
さて、実際に今の場所にホテルができたのは20年後の1893年で、2F建てだったそうな。その後、地面を掘り下げて1フロアを作り、それが現在の入口にあたる。


宿泊者の中にはアインシュタインも。


今回の部屋は8号室。鍵といいホルダーといい重厚感を感じる。


夕食、朝食ともに洋食コース。ここはパンも自家製でとても美味しかった。

あと、この日はホテル内の見学ツアーが開催されていて、歴史ある部屋、調度品等と一つ一つ丁寧に紹介いただいた。これだけでも十分に元をとった気分。

大雨の中の歴史散策 

2日目。台風18号が九州地方に上陸し、関東に接近。秋雨前線を刺激し、ここ日光も朝から大雨となった。前日、主なものは見学したので、この日は東照宮の奥にある輪王寺大猷院(だいゆういん)まで足を伸ばす。

徳川家光公の廟所があるところ。ここはまだ一部は工事中であった。写真は仁王門。


こちらは拝殿・本殿。大雨でかなりガスっている。
ここも金色がまばゆいばかり。当時の栄華がなんとなくわかる。


廟所そのものは非公開とのことで見ることはできなかったが、あちこちに置かれた青銅の灯籠も含めて、天下人の権力の大きさを感じることとなる。

SAMURAI HOUSE

金谷ホテル発祥の地は現在は民芸館として一般公開されている。「カッテージハウス」つまりコテージとして始まったものは、いわゆる民泊の走りであった。

江戸時代に建てられた自宅は明治に入って増築されたが、その違いも鮮明にわかる。天井が高い、関東間は京間になどなど。でも自分が小学生だったこと、台所は土間だったので、初体験というよりもどこか懐かしい気持ちになった。


こちらは江戸時代に作られた部屋。部屋は広いが天井が低い。


雨足がさらに強くなってきたので、さっさと移動しようということになったのだが、一方で小腹も空いてきたのでランチタイムに。しかし、中禅寺湖までお店もなさそうな雰囲気だったので、「Ok Google、近くのランチ」で検索!すると「日光くじら食堂」 がヒット! くじらでも食べさせてくれるのかな?と思いつつ、Google マップに従って移動する。

しかし、その示す所は住宅地。道路の小さな看板も出ていたので、確かに向かってはいるのだが、どう考えても周りは普通の民家ばかりで、引き戻そうと思った瞬間、ランチメニューが書かれた看板を発見。くじら=久次良町 のことなのだそうだ。


日光産ニラ入りカルボナーラを注文。ニラのシャキシャキ感ともちもちの面、甘いソースが見事に絡み合う。旨し!

そしてもう一つの金谷ホテル 

2日目のお宿は、中禅寺湖金谷ホテル。リゾートホテルって感じの作りで、奥日光への散策の基地という雰囲気の作りであった。


この後、台風は日本列島を縦断。夜中に関東に最接近した模様。雨風で周囲の木々は大騒ぎであった。

そして、朝を迎えると、台風一過ですっかり青空に。そして気温もぐんぐん上昇し、この日は前日比+10度まであがった。


前日は真っ白で何も見えなかった中禅寺湖。白波が立っている。そのせいもあって遊覧船もこの日は欠航だったようだ。この日は約6kmの朝ランも実施。さすがに標高1,000mだけあって空気も薄く感じされた。

ホテルを後に戦場ヶ原へ。かるーく、虹なんてものも出てきた。


こちらは竜頭の滝で、竜頭の橋上から中禅寺湖を臨む。戦場ヶ原から流れ込んだものはここで滝となる。ここ数日の大雨もあって水量も半端ない。おかげでいい景色を眺めることができた。


そして、華厳の滝へ。高さは約100m。地上からエレベータで下まで降りる。周りからは地下水が滲み出る形で幾筋もの水が流れ落ちている。あともう少しで紅葉の時期だが、たしかに眺めは良さそうである。


帰路の途中、今市で松月氷室というお店に寄って、天然氷のかき氷をいただく。天然氷はキーンと来ないぞという言葉を信じてかき込んだのだが、やはり冷たいものは冷たい。まあ、人工のものよりはマシかな。

歴史の教科書にはおそらく書かれていないことを目にするという貴重な3日間。あらためて、偉大な人は、残すものも半端ないことを実感した。

2017年9月3日日曜日

お供を変えてみる

ランニングするときに欠かせないものの一つ、時計をついに変えることにした。コストパフォーマンスを考えると、結局はGarminに行き着くことになり、ForAthlete 630J に決定。2010年に手にした初Garmin、Forrunner 405X はバックアップということになる。

ここ数回のフルマラソンでは、ゴール前に電池切れという異常事態も生じていたので、バッテリー交換も考えたのだが、購入したのはアメリカであり日本のサポートは難しい、小さい文字が見えにくくなってきたので文字盤が大きい、カラフルなものが良い、などの理由も新規購入の理由。まあ、最初の理由はもっと早くゴールすればどうってことない問題なのだが。

見た目の比較は写真の通り。薄くそして文字盤は大きくなっている。



バックライトが若干暗いかなあ。あとはいろいろな機能がてんこ盛りで当面はマニュアルとにらめっこ。

全く関係ない話だが、Amazon のパッケージがちょっとだけ変わっていたことに気づく。これまでセロハンのテープだったところがしっかりとテープが貼られている。このため、ハサミ等がないと開けられないようになってしまいった。中身が飛び出す心配は減ったと思うが、ちょっと面倒。


ひと味違うバスケットボールの試合

9/1、三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP 2017、車椅子バスケットボールの国際親善試合を観に行った。試合はイギリス対日本。イギリスはリオのパラリンピックで銅メダルを獲得した強豪である。








場所は東京体育館。バスケットボールというよりもバレーボールの聖地的な場所で、初めて訪れた。体育館脇の国立競技場後はすっかり様変わりして、2019年完成を目指す新国立競技場の建設が急ピッチで行われている。でも良く考えると、駅からも近いし、代々木に比べると観客席が平坦なので、車椅子の観客にも配慮してのことなのかもしれない(勝手な憶測)。

試合結果は残念ながら、日本の負け。途中同点に追いつくことしばしばあったもののやはり実力差か。FGのトライ数はほぼおなじだが、成功率にも表れているように、精度が全く違っていた。

車椅子ということもあって、特別なルールがあることに加えて、ジャンプするシーンが皆無であり、上半身の体格、腕の長い選手がやはり有利のようだ。しかし、フェイントで相手を振り回すなど、横のスピードも大切。特にガード陣が見せるキレの良いドライブインは迫力があった。



2020年が当面の目標だと思うので、日本チームにはぜひメダルを期待したい。それには周囲のサポートは絶対に必要。直接的なことはなかなか難しいが、試合に足を運び、応援を継続することがまずは基本ですかね。






2017年8月16日水曜日

雨の夏休み

8月に入って毎日雨の東京。そんな中での夏季休暇。アウトドアは早々に諦めて、今年は映画と博物館めぐりに変更。

国立近代博物館では、「日本の家」と常設の展示を見学。いろいろな形の家があるけれど、時代背景によってはやり廃りがあることを実感した。最終型が雨具みたいな形というのはちょっと考えにくいけど。

工芸館では、「調度 ハッピーのかたち」という企画展示を見学。漆を重ね塗りして作った調度品、魯山人の器、人形など、ハッピーで表現できるものはたくさんある。自分にとってのハッピーは?と考えながら作品を見ていたのだが、結局思いつかず。

国立公文書館にも立ち寄る。企画展示として百人一首が取り上げられていた。子供の頃にちょっとだけやったが、もともと国語嫌いもあって、まともに覚えている歌は全く無し。しかし、百人一首は一つだけだと思っていたのだが、実は何種類もある。時の権力が歌を選び、まとめたものなので、代表的なものだけでもいくつかあるようだ。




そして、その隣では公文書館ならではの展示と言っても良いだろう、法律に関する文書の展示。手書きできれいに書かれた文書はやはりいい。

最後の近所でもう一箇所。ニコンミュージアムに。100周年を記念した企画展を見学。ニコンのカメラが欲しくなってしまった。





2017年8月13日日曜日

一周忌を迎えて

父親の一周忌、叔父の新盆を済ませて。一年前と同じように今年も蒸し暑い日であった。





9:30 お寺(西楽寺)へ
10:00 お墓の掃除、仏様を迎える
10:30 法事開始
11:20 法事終了
12:30 お斎
14:00 終了

お斎はいつものように梅田屋さんに。今年も贅沢な鯉こくをいただきました。
今回は少しは上手に食べることができただろうか。。。

翌日は少し晴れ間も見え(しかし暑い)、長野オリンピックの記念館に。長野マラソンの周回コースのイメージしかなく、初めての訪問。1998年、一週間近くの休暇を取って見た競技のことを思い出した。清水選手がスケート500mで金メダルを取った会場である。




その後、なんとなく山に行きたくなり、これまたオリンピックの会場となった志賀高原へ。あいにくガスっていたが、気温18℃の涼しさは嬉しい限り。気分転換にはもってこいの場所であった。






2017年6月18日日曜日

2017 年上半期の総括

年頭に上げた抱負を振り返る。

10 か所

47都道府県のうち、まだ訪れたことのないところが10県ある。秋田、岐阜、島根、鳥取、愛媛、徳島、高知、熊本、宮崎、鹿児島。四国・九州はなかなか行く機会がなかったのだが、今年はぜひとも訪れてみたい。

達成度はゼロ。未だどこにも行けていない。ただ、春の京都・貴船に行けたので達成度は2%ぐらいだろうか。

100 人 

毎年多くの方と仕事を一緒にさせてもらっているが、新たに100名の方々にお会いし、いっしょに仕事をしてみたい。100って少ないようにも思えるが、単に名刺交換だけで終わったりすることも多い。仕事したぞって思える人100名以上が目標である。

名刺を数えると新規で90枚ほど。その中で仕事をいっしょにしたぞと思える方は、半分ぐらいかな。特に3−6月にかけて濃い内容の仕事が多かった。取材、撮影、イベント等々。
学びも多かったし、少しだけ自分の許容範囲も広がったかな。

1,000 km 

年2回もフルマラソンの大会に出ていながら、ここ数年の走行距離はとても少ない。だから記録も伸びないのだが。。。最低でも年間1000kmは走りたい。

初のリタイヤを経験。その後も調子があがらず。でも10月の富山を目指して粛々とメニューをこなすだけ。

10,000歩

健康のため1日1万歩が良いそうだが(最近は異なる説も出ているが)、昨年は平均すると週1日は1万歩超えをしていたようだ。今年は週2日以上としたい。デスクワークが多いため、通勤で稼ぐことになるかな。

5月、6月はかなりさぼってしまった。車移動に頼ってしまい歩数もかせげなかったので、7月からがんばることにしよう。

これ以外で達成できたこととしては、

  • Pepper ビジネス本4冊同時監修・刊行
  • 4事例の取材と1事例のビデオ制作
  • 昔取った杵柄じゃないけど、アナリストの世界に再び関わる仕事
  • 中学の同級生の親交が深まる

といったところかな。



2017年4月23日日曜日

無念、DNF、長野マラソン

4月16日(日)快晴、スタート時の気温は14.5℃。湿度55%。ここ数年荒れた天候だったが、今年はピーカン、気持ち良く走れる・・はずであった。

結果はDNF、途中リタイヤである。しかも41km走り切って。最後の関門を制限時間内に通過することができなかった。わずか6分、1kmの差。ゴールは真横に見えていたのに、無念である。

クローズされた関門から歩道側に誘導され、すぐにドリンクとおにぎりを渡される・・ここまではゴールした時と同じなのだが、Finishersのタオルやメダルは当然無し。でも、そのままゴールの競技場までは歩いていくことになり、これらを手にした人を避けつつ荷物を受け取りに向かう。久々に悔しいという感情が沸き起こる。しかも、荷物を受け取るとき、最後のランナーがゴールします、みんな拍手!!というアナウンス。?こっちはとっくにゴール会場来ているぞと、なんか寂しさも。

レースを振り返ると、そもそもスタート時から気分的におかしかった。息が上がり、前に進まない。それでも15kmまではなんとか行けたが、Mウェーブあたりから歩くことしばしば。ハーフの時点で2時間16分。まあ、2時間半以上もあるから大丈夫だろうとタカを括ったのがあとの祭り。足裏にマメができてしまい、思うように走れない。35kmの関門を3分前に通過した時点で、半ば完走を諦めた。



最後の関門、奥に競技場がみえる


桜、りんご、もも、あんず、木蓮、菜の花が一斉に咲いていて、今年は最高だったんだけど。ああ、無念さが残るばかりなり。






2017年1月28日土曜日

ありがとうはどんな時に言う?

半年ぶりに大阪へ。今回は講演会の取材と写真撮影が目的(ライター兼カメラマンということ)。そこで聞いた講演から。

お題:あなたは、ありがとうという言葉をどのような時に発しますか?

  • 人からプレゼントをもらった時
  • 知らないことを教えてもらった時
  • 褒められた時
  • 欲しいものが手に入った時

など、自分が困っていてそれを助けてくれた時は必ずと言って良いほど、「ありがとう」という言葉を発する(のが自然だろう)。では、

  • 人から怒られた時
  • 人から駄目だしを食らった時
  • 批判された時

はどうだろうか? 「ありがとう」という言葉を果たして返すだろうか?

講演者は、大学生を前に時々こうした趣旨のことを問いかけるそうで、ほとんどの場合は、後者の場合に「ありがとう」という学生はほとんどいないとのこと。

でも、もしその時「ありがとう」と言えたら・・・人から怒られた時に「ありがとう、怒ってくれて。次はきっとうまくやるよ」と返すことができたら・・・批判も含めて、何かをしてくれたことに対して、素直に感謝の気持ちを持つ。それなりに歳をとった身として、この問いかけはとても納得ができる。

仕事で使うメールや会話の中で、特に英語では、ありがとう(Thank you, Thank you for なんとか)は頻繁に使われる。日本人同士だと、「お世話になっております」が良く使われるが、「ありがとう」は中々使われない。まあ、毎回のように「ありがとう」はしつこいと逆に反感を買うかもしれないが。それでも、「ありがとうございます」と言われて悪い気分になることは無い。その一言で始まることで、会話もスムーズになる気がする。

まだまだ器も小さい自分ではあるが、怒られた時(もちろんケースバイケースだが)に「ありがとう」という言葉が自然に出てくるような姿勢で常にいたいなと思う。


ところで、今回は「ヤザワコーポレーション どっちもクリップ 強力タイプ CLW-3」を手配。三脚&このクリップ&レフ板とすることで、助手なしカメラマンでもいい感じの写真を撮れる。


残念ながら今回は出番なしだったが、どこかでまた日の目を見ることはあるだろう。


2023 年の喜怒哀楽

戦争、気候変動(とにかく暑かった)、そして人の移動が確実に増加した2023年、個人としてもいろいろなことがありました。 感情の動き「喜怒哀楽」で振り返ってみます。 喜び 富士山に初登頂(7月)。ご来光は最高でした。一歩一歩踏みしめて登り山頂に立ったときの喜びは忘れられませんね。 ...