2017年1月7日土曜日

2017年の抱負

定量的な目標いくつか並べてみる。

10 か所

47都道府県のうち、まだ訪れたことのないところが10県ある。秋田、岐阜、島根、鳥取、愛媛、徳島、高知、熊本、宮崎、鹿児島。四国・九州はなかなか行く機会がなかったのだが、今年はぜひとも訪れてみたい。

100 人 

毎年多くの方と仕事を一緒にさせてもらっているが、新たに100名の方々にお会いし、いっしょに仕事をしてみたい。100って少ないようにも思えるが、単に名刺交換だけで終わったりすることも多い。仕事したぞって思える人100名以上が目標である。

1,000 km 

年2回もフルマラソンの大会に出ていながら、ここ数年の走行距離はとても少ない。だから記録も伸びないのだが。。。最低でも年間1000kmは走りたい。

10,000歩

健康のため1日1万歩が良いそうだが(最近は異なる説も出ているが)、昨年は平均すると週1日は1万歩超えをしていたようだ。今年は週2日以上としたい。デスクワークが多いため、通勤で稼ぐことになるかな。

年初に知人から「夢を宣言しよう」というLINEメッセージをもらった。ふと考えた。こりゃいかんなと。


「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」(吉田松陰)




2016年11月13日日曜日

富山、映画のロケ地を散策

射水市新湊地区はいくつかの映画のロケ地として有名だそうで、少し体を動かすという意味で、ロケ地を散策。(参考情報:射水市観光協会HP)


まずは、番屋。いまは、カフェになっている。撮影で使った小道具を見学できる。


こういう橋(内川にかかっている)が多い。



妙なオブジェが。ふと、こんなやつを小さいときに美術の授業で作った記憶が。あれ、どこにいっちゃったんだろう。


ピンク色の壁のところが、「スナック海の女王」。ただし、実在するものではなくて倉庫にお化粧しただけのもの。期間限定でそのままにしているらしい。


右側が日本海なのだが、静寂そのもの。また見ての通りで、船着き場にもなっている。かなり大きな漁船もあった。


東橋という橋。


八幡宮。


番外編。映画とは関係ないのだが、こういった古い看板があちこちにまだ残っていた。以前はこうした街の電気屋さん(メーカー系列)は、町にひとつふたつはあったものだが、最近はほとんど見かけないなあ。


 このお店は、はかりとお茶とタバコを売っているらしい。「さし ます はかり」。
コピーの意味がイマイチ悩む。


いまじゃモダンからは程遠い感じのお店。


お隣の高岡市は藤子・F・不二雄氏の出身地ということで、デコ車はもちろん、ドラえもん。


駅徒歩15秒という恵まれた環境も。


約15000歩、小一時間の散歩でうっすら汗もかき、筋肉を緩めるには良い散歩となった。

富山マラソン 2016

富山マラソン2016を完走。天候は快晴から薄曇り。立山連峰もばっちりと拝めたのだが、なかなか過酷なレースとなった。

大波賞もの。中間点=新湊大橋を渡ってからの低調ぶりがはっきりと出ている。途中、有森裕子さんのハイタッチで少し元気をいただいたものの、走り込んでいないのだから当然の結果とも言える。40分/5kmじゃあだめでしょって感じ。


おかげでゴール手前で頼みの Garmin も電池切れ。あの横浜のときでさえなんとか持ちこたえてくれたのに、人も時計も電池切れかと思い、一人ニヤけるしかなかった。

電池切れ・・・


当日の富山地方の天候。スタート時(9時)は風も穏やかだったのだが、徐々に北の風が強くなっている。後半は歩くことも多かったので体が冷えてしまった。


昨年も同じようなレースをしてしまい、学びを全くいかせなかったものの、それでも気分よくゴールはできたのでこれはこれで良しとしよう。

(市内から、うっすらと立山連峰が見える)

今回、往復ともに北陸新幹線を利用した。かがやき号で2時間15分。近くなったものである。ちょっと残念なのはトンネルの多さ。良い景色が多い路線なのになあ。

来年もまた参加してみたいと思う。


2016年10月15日土曜日

さようなら Mac mini

「じゃ〜ん」を繰り返し鳴らし続けるばかりの我が家のmac mini。専門店にもちこみ「ロジック故障」という診断結果を受け、本日をもってお役御免となりました。

購入履歴によると、2012年4月30日に購入、5月1日から使い始めているので、約4年半。Lionから始まったOSも先日のSierraまで5回のアップデートをしたことになる。

幸運にもHDDは問題なく、データもバッチリ残っており、一安心。とはいえ、自宅の基幹マシンだっただけに次をどうするか。うわさでは、今年は新モデルが出ると言われているが、一方では、所詮miniはメインストリームじゃないので、当面出ないとか。。。

しばらくは先代miniに再度ご登場いただいて、次を考えるとするか。





2016年9月25日日曜日

晴れ男>雨男

父親の四十九日法要が無事に終了。

前日はそれまでの大雨で近隣の河川はごらんの通り。普段は「清流」が似合う流れなのに、この日はまさに濁流。台風&秋雨前線、恐ろしや。


そして当日。朝は湿度は高いもものうっすらと青空も出ていた。母親曰く「やっぱりあの人は晴れ男や」と。しかし、この数時間後、雨は本降りとなってしまった。土砂降りの中の納骨はいやだねえなんて皆で話をしていたのに、雨男の自分がどうやら勝ってしまったらしい。


自宅での30分ほどのお経を終え、納骨のために皆でお寺に向かう。お寺に到着すると、あれれという感じで雨が上がってきた。お墓に納骨して、お線香を上げる10分間は傘いらず。さすが晴れ男と言われただけのことはある。最後の最後まで記憶に残ることをやってくれた。

ちなみに、この土地では納骨は骨壷(実際には壺でなく骨箱であったのだが)をお墓に納めるのではなくて、お墓の下の空間に撒くというスタイルであった。どうやって土に返すのかなと思っていたのだが、これで納得がいった。

この後は、中学の同級生が営む地元の店で食事会(お斎)。久々の「鯉こく」は味わい深かった。そして、再び雨足が強くなる。あの世に行って、お役ごめんと思ったのか・・・

さて、やっかいなことをいろいろ遺してくれたので、あとは淡々と片付けますかね。



2016年9月16日金曜日

やってみてから考えるという仕事スタイル

「まずはやってみませんか」「最初にイメージをつかみたいので、これを元に作ってください」・・・開発現場で時々聞く言葉である。仕事の依頼元が言う場合もあるし、開発側から提案する場合もある。

今回、依頼元からこの言葉が発せられたのだが、これがこの仕事の失敗(もとい、苦い経験)の原因だった気がする。

依頼元がプロの場合、経験もノウハウもあるので、少しばかりおかしな方向に進んだとしてもすぐに軌道修正ができる。そう、落とし所がわかっているのである。しかし、相手が経験に乏しい、あるいは自分のやり方だけに固執している場合、気をつけなければならない。納期が迫っている、見積もり条件を超えてしまうという切羽つまった状況でさえ、「なかなかイメージがつかめないんで」と無茶なことを言ってくる。ひどい場合は、「私はこの仕事に慣れていないんだから、あなたがきちんと言わないからいけない」と逆ギレされることもある。実際、今回は逆ギレされた。

今回のケースでは、さらに、
  • 利用者不在:利用者にとって良いものをと言いつつ、お構いなしに自分のやりたいことをどんどん盛り込む。結果、何をするものかがわからないものができるという状態に。
  • 無言のレビュー:節目節目できちんと中間成果物を出し、修正箇所はあるかと問うているのに反応もせず、最後になって「所詮中間であって、私は承認したわけではない」という。じゃあ、なんのためのレビューだったんだ。
  • 正しい情報が与えられない:「これが正しい情報です」「これが確定情報です」。しかし、誤字脱字、難解な情報がそこに必ず存在する。中には正しかったものをわざわざ誤ったものに修正することも。結果、余計な作業を負わされることになる。
  • 打ち合わせ依存性:電話一本、メールで一行書けば済むことでも「打ち合わせしたいので来てください」という。今時、リモートで打ち合わせする手段はいくらでもある。
ということも重なった。精神衛生上、最悪の状態はなんとか乗りきったものの、いまだにじっと我慢の子である。

まあ、こちらにも非がなかったわけではない。相手の能力を過信していたこと(見抜けなかったわけだ)、前任者との仕事スタイルを前提にしていたこと(仕事をちゃんと引き継いでいるわけではない。常に初めてという気持ちが必要)は否めない。

「やってみてから考えましょう」という仕事は、仕事相手との信頼関係の上に成立する。信頼できない相手とは決してやっては行けない。



2016年8月18日木曜日

長い一週間

最後に、実家に一週間連続で滞在したのは何年前だったろう。そんなことを考えながら、この一週間を暑い長野で過ごしていた。まったくの想定外の出来事で。

8 月 11 日朝、父が急逝した。享年77歳。平均寿命80歳の時代に早すぎる一生だった。今年に入ってほとんど病院での生活。会うたびに家に帰りたいと言っていた願いはついにかなわなかった。

最後にまともに話をしたのは4月の長野マラソンのときだったかな。何時間で走るんだと聞かれた覚えがある。その後しばらくして寝たきりの状態となり、こちらが声をかけても表情を変えるのがやっと。ときどき笑ったりすることはあったけど。

看取ることはできなかったけれど、まだぬくもりの残っていた父親と対面できたことが救いであった。もし東京にいたらそのぬくもりを感じることはできなかっただろう。前日夜に実家に居たこと、早朝だったけれどなぜか起きていたこと、偶然かもしれないけれど、何か因縁めいたものを感じた。「早く会いに来い」と。

お盆の時期=お寺が最も忙しい時期、ということで葬儀までかなり時間が空いた。遺品を整理したり、お参りに来てくれる多くの皆さんの話を聞きながら、父親がどんなことをしたのかを探っていた。家の中では、無口で頑固、怒りっぽいという印象しか残っていないのだが、どうやら表では全く逆の顔を持っていたようである。おしゃべりでいろいろな人の意見を聞きながら取りまとめる役だったらしい。困ったときの駆け込み寺的な役割でもあったとか。カラオケが好きで、結局、自分で作詞したもので歌手デビューしちゃったり、長野オリンピックを盛り上げるぞということで葉牡丹を栽培して街の中を葉牡丹だらけにしちゃったこともあったとか。ちょっと早かったけれど、十分に人生を楽しんだようだ。

17日に無事告別式・葬儀を終え、暑い長野を離れて、一週間ぶりの東京へ。台風の置き土産というゲリラ豪雨に出くわしたが、無事に到着。

自宅に入る前、こいつは飼い主のことを絶対に忘れているだろうと思っていたが、いつもと変わらぬお出迎え。

さて、長い休暇となってしまい、仕事でもだいぶ迷惑をかけているので、明日から挽回せねば。



Aug 11, a new national holiday, named "Mountain day".  My father passed away on the day.  


エジプト旅行10日間、古代文明に触れる

  NotebookLM の力を借りて、このブログを書いてみました。 成田からドバイを経由し、約12時間のフライト(今回、エミレーツ航空を利用)。降り立ったカイロで私を待っていたのは、数千年前から変わらぬ(であろう)静寂と、開発が進む現代エジプトの圧倒的なエネルギーでした。写真の...