2013年12月31日火曜日

最期のとき

12月28日午前0時頃、我が家のマスコット、カッピーは永眠しました。27日朝からの様子を振り返ります。

午前9時:12月に入ってから始めた輸液が無くなってしまったため、この日朝に病院に取りに行った。本来なら、翌日28日が診察予定日だったので、一日ぐらいいいかなとも思ったのだが、毎日した方が良いという病院の先生のアドバイスを思い出し、取りに行く事を決意。しかし、結局のこの輸液は封を切る事無く返す事になる。

午前9時半:病院から一旦帰宅して出勤。この時点では特に前日と様子は変わらなかった。リンゴの家の中でうずくまっていた。

この日は仕事納めとインターンで来ていた子の送別&結婚祝いということで、夕方から会食に。寄り道も考えたけれど、輸液のこともあったので早々に帰路につく。

午後10時前:帰宅。あかりをつけると、カッピーが台所の近くで横たわっていた。息が少し荒かった気がする。部屋が寒かったので、いつものように床暖房を入れた。なんとなくおかしかったので、床を見るとなぜか濡れていた。水をこぼしたのか?そんなわけはない。どうも脱水していたようだ。これはまずいと思い、タオルを電気カーペットの上に引き、とりあえず暖める。水分を強制的に与えてしばらく様子を見ると、ちょっと落ち着いた様子。この時、家人には「ヤバいかも」というSMSを送る。

午後10時半頃:時々、頭をゆらゆらさせる。水を注射器で与えるといやがって飲まない。しかも飲んでいる様子がなく。単純に口の中に入って、またそれが口から流れ出ている。頭の下に敷いた紙タオルがすぐに濡れてしまう。

午後11時頃:次第に息が荒くなってくる。一生懸命呼吸をしようとしている。鼻息がすごい。目もうつろになってきており、右目は反応がなくなっている。左目もまばたきをほとんどしない。じっと、正面を見ているだけ。二人で交互に声をかけたり、なでたり、視線の先に顔を出すが、あまり反応がない。

そのうち、自分がうとうとしはじめ、もう寝るかとなったのだが、輸液をせねばと思い、暖めるためにお湯をわかした。そして、お湯が沸いて、輸液をあたためようとしたそのとき、家人から、「変な動きをしている」との一言。体全体をそらして、ちょうど背伸びをするような感じになっている。しかし、息はもう絶え絶えという感じ。

午前0時過ぎ、そして、数分後に息が止まった。目は半開きのまま反応しなかった。体温は少しあったが、どちらかといえば冷たかった。何をしても反応がなかった。

年末に実家から送られてきたりんごが入った段ボール箱があった。そこに新聞紙とタオルを敷いて、カッピーを横たえた。りんごの形をした家がお気に入りだったが、何かの偶然かな。

1時間ほど二人とも何も語らずぼーっとしていたが、どちらが先というわけでなく、そのまま寝入ってしまった。

翌朝、まずは病院に報告。先生には暖かい言葉をかけていただいたが、こちらもまだ涙声。ネットで探した霊園を紹介してもらう。霊園に連絡すると、昼過ぎに引き取りにきてくれるとのこと。

昼過ぎ、引き取りにきた方の手には病院からというお花が。そして、カッピーはこの家からいなくなった。

カッピーがいなくなった部屋には、りんごの家、白いクッション、エサを入れる皿などいろいろなものがあったが、そのすべてを処分することにした。思い出の品は後に引くだけなので、早々に処分する事を決意した。

3日後の31日朝、霊園にお骨を取りにいく。高さ10cm、直径5-6cmの骨壺を手渡された。

コロナにかかって

この時間、 長野マラソン に出ていたはずだったのだが、コロナに罹患してしまい、自宅でライブ配信を見ながら、このブログを書いている。一週間の顛末を残す。 コロナに診断された方へ(かかりつけの医者の指示から) 発症後5日間、かつ解熱、症状軽快から24時間が経過するまでは外出を控える ...