2011年3月12日土曜日

地震の恐さを改めて知る事に

3月11日は忘れられない日になった。地震の多い地域で生まれ育ったとはいえ、さすがに昨日の地震は恐かった。

ちょうど、歯医者で治療をしようというところで、揺れてるって感じてから、その規模がどんどん大きくなり、そして病院内が大騒ぎに。直近では、2005年の福岡での地震以来。この時も立ってられないぐらいの揺れだったが、田舎にいたこともあって、それほどすごいという印象はなかったなあ。

でも、今回は、建物がきしむ音、モノが落ちる音、悲鳴も重なり、さらに2度、3度と余震が続いて、こりゃだめかなとちょっと覚悟も。

結局、歯医者さんから今日はもうやめましょうということになり、一旦会社に戻ると、細かいものが棚から落ちていた程度。ただ、誰もいない。30分ぐらいしてぞろぞろと戻って来たので、どこに言っていたかを訪ねると、皇居に避難していたらしい。たしかに、緊急避難場所は皇居だった。結構な人数だったらしい。

さて、JR、地下鉄、私鉄、バスいずれの交通機関も動いておらず、徒歩帰宅を決断。冷え込みも厳しかったため、日が落ちる前に出発。途中、タクシーでもと思ったが、そのタクシーもほとんど走っていなかったし、とにかく道路が大渋滞で、歩いた方が早い事は確実であった。途中、バス停やタクシー乗り場で行列で待つ人、地図を片手に目的地へ向かう人など大勢の人を見たが、パニックを起こしているわけでなく、淡々としている様子が印象深かった。

歩いている途中、知人、友人から携帯電話にメールが送られてくるが、なかなか返事ができない。かなりつながりにくい状態だった。そこで、UQ WiMax+HTC EVOに。こちらは何の問題もなくつながっていた。ネット強しということかな。Twitter, facebookからはほぼリアルタイムに情報を得る事ができた。ちなみに、iコンシェルに最初の地震速報が送られて来たのは確か20時過ぎだった。

約1.5時間ほど歩いて自宅マンションに到着するも、予想通りエレベータが全部停止で復旧のめどもないと言われる。そこで、歩いて上がる事に。これはさすがにしんどかった。

部屋に入ると、すべてのドアがきれいに閉まっている。前にも似たようなことがあったが、大きな地震が来るとドアが勝手に動き出して結果的には閉まってしまう。恐る恐るリビングに入るが、普段と何も変わらない。幸運にも壊れたものは全くなく、安心した。

朝方、実家のある長野方面で地震も起きたようだが、こちらも特に問題なかったようだ。

昨日は、とあるサイト(NZ地震などの災害時の掲示板等)の告知をしなきゃと思っていたところだったが、まさか日本のことをここに書くことになるなんて思ってもみなかった。おっと、これはこれでさっさとやらなくちゃ。

JR田町駅方面を撮影

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