2010年8月25日水曜日

静かな場所が

発表資料も目処がついたので、Kaunas 市内を散策。今日も午前中からお昼にかけては急な大雨になり、道路はあちこちで水たまりができていた。


朝はジョギングで川沿いを中心にまわったので、日中は徒歩で旧市街地区をまわってみた。旧市街地区には18世紀に建てられた市庁舎がそびえたつ。市庁舎といっても見かけは教会のようにも見える(となりに確かに教会がある)。色もそっくり。また、赤レンガの大聖堂も目をひく建物。そして、さらに足をのばすと、カウナス城が見えてくる。地図を照らし合わせながら散策したのだが、結構入り組んでいてわかりにくい。しかも石畳ときているから歩きづらい。朝はわからなかったが、お店は実はいろいろとある。でも多いのは、おみやげ屋さんと女性衣料品店、あとはレストラン。レストランといえば、「ボートの小屋」なる寿司屋を発見。久々に表で見る「漢字」である。


一回りしてもせいぜい30分程度なので、「地球の歩き方」に従い、第9要塞博物館(Devintojo Forto Muziejus)に向かうことにした。ただ、ガイドブックがあったのになかなか簡単には行かせてもらえず・・・

まずは、「ミニバス」という大型のバンの乗れとガイドブックはいう。しかし、乗り場が良くわからない。やっと見つけるも、時刻表もないので、いつくるかわからない。うろうろしていたら、ガイドブックに載っていた番号を発見。でも、運転手の方、英語が通じない。そこで、ダメもとで日本語の地球の歩き方を見せて、写真を指差すと「OK!」が。やっぱり、図は強い! 次にお金。ガイドブックには1.20Ltと書かれている。でも、実際には2.5Ltに値上がっていた。そして、目的地が近付くと、何やら運転手が落ち着かない様子。どうも、「あれがあんたの行くところだ」ということを伝えているようだ。そこで、「わかった」と返事をすると、バス停でもないところで降ろされる。「ここからなら歩いていけるぞ」と。でも、そこは明らかフリーウェイのインターチェンジのどまんなか。脇を時速100km以上の車がビュンビュン飛ばしていく。ガイドブックには「必ず運転手に下車することをアピールすること」と書かれたいたが、その意味がようやく理解できた。

なんとか地下通路を発見して、博物館にたどり着く。しかし、そこにはしっかり鍵がかかっていて、曜日を示すとおぼしきマークが並んでおり、左から2つめが赤に。まさかと思ってガイドブックを見ると小さく「休業日は火曜日」との説明を発見。そう、休館日だったのである。ショックも大きく、このまま帰るのも癪だったので、とりあえずは上の方に上がってみると、そこはもう別世界。脇にフリーウェイ(日本でいえば自動車専用道路かな)があって車の音もするはずなのだが、そこは静寂の世界(たぶん人がいれば別なんだろうが、さすがに休みとあったは人の姿は見えず)。目の前の巨大モニュメントに圧倒されつつも、赤レンガの建物に近づく。この赤レンガの建物が第二次世界大戦時にナチスの強制収容所だったところとのこと。もちろん、中には入れなかったが、それでも、30000とも50000とも言われている人がここで犠牲になったということを想像すると暑さもふっとんでしまう。一部の壁には、"There near this wall nazis shot and burned people in 1943-1994" という恐ろしい文言が書かれていた。この強制収容所の向こうには、今ではなんとなく幸せそうな風景が広がっていて、不気味なほどの静けさとのギャップはなんとも不思議であった。


なお、博物館の帰りも要注意。フリーウェイにバス停はあるものの、カウナス市街に行くバスはせいぜい20分に1本。しかも、行きと違って大型のバス(料金は2.0Ltだった)である。

帰りはこちらでスーパーらしいスーパーといえる「Iki」で買い物。物価は格段にやすい。おおざっぱにいって1/2から1/3ってところかな。ところで、こちらのお店は基本的に袋は出さない。スーパーでは買い物袋は持参するもので、もしない場合は買うシステムになっている。スーパー以外のお店も同様で、袋に入れてくれたのは、パンを買った時だけ。そのパンやも、「袋に入れる?」と聞いてくるほどである。デフォルトは「袋は使わない」と理解した。これもまた習慣の違いか。

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